2016年3月21日月曜日

2016年3月11日@いわき市


雲の切れ間を縫うように、やや上下に伸びた日の出に照らされながら、福島県いわき市は震災から丸5年の朝を迎えた。午前6時10分過ぎ、廃炉作業が続けられている東京電力福島第一原子力発電所に通じる国道6号は、現場に向かう作業員の車で既に混み合っていた。数日前の春のような暖かい空気は嘘のように、スピードを出した車から運ばれた冷たい風が、私の体を通り抜けた。

日の出から数時間経った頃、美空ひばりの「みだれ髪」で知られる塩屋埼灯台に見下ろされた薄磯海岸の砂浜には線香の匂いが漂っていた。線香と一緒に添えられた白い菊の花を、誰が手向けたのは分からなかった。ゆっくりと線香の背が低くなり、火が消えかけた時、60代の男性の漁師が姿を現した。手には線香と、温かいコーヒーが入った白い紙コップが握られていた。砂を掘って線香を供え、静かに手を合わせると、その意味を教えてくれた。

「ここには、当時小学6年生の女の子の遺体が打ち上げられていたんだ。震災の数日後に見つかった。忘れないように毎年祈りに来ている。お酒は飲めない年齢だったから、身体が冷えないように温かいコーヒなんだ。震災から5年は長いようで短かった。忘れられないように、来年も来る」

男性が立ち去った後も、線香の煙とコーヒーの湯気が浜風に揺らされていた。

津波によって多数の死者が出たいわき市。午後2時40分、薄磯海岸に近い豊間漁港には地区の住民など300人が集まり、追悼式典が開かれた。地震の起きた午後2時46分に黙祷が捧げれた。設けられた献花台に、次々と花を手向ける参加者たちの中に、高校2年生の女の子がいた。震災前は、100人近い犠牲者が出た沿岸部のこの地区に住んでいたという。

「私のおばあちゃんは、まだ見つかっていません。優しいおばあちゃんで、また会いたいなと思ったこともありました。けど、いま私はフラダンスをやっているので、天国から見てもらえれば」

追悼式を主催した年配の男性が言った。「5年が経ったが、去年を上回る人が集まった。それだけ、まだ傷が癒えていないのではないか」

震災から丸5年。被災地、福島県、そしていわき市は、鎮魂の祈りに包まれた。その中で、心を揺さぶられる多くの言葉と出会う度に、自問を繰り返した。「日々の取材で、そのような言葉を十分伝えてきたのか。原発事故に重きを置き、津波被害を軽視していたのではないか」と。

福島第一原発から南に40キロ余りに位置するいわき市は、いまも原発事故によって2万人以上の避難者を受け入れている。より福島第一原発から近い自治体は、事故による避難指示が解除され、故郷での生活を許されたエリアも出てきた。さらに今後、その動きは加速し、伝える機会も増えるだろう。そんな今だからこそ津波被害を忘れることなく、祈りを捧げる人がいる限り伝え続けたい。